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お帰りなさい!光野隊員👷‍♂️~南極地域観測隊員の1年間~


はじめに

 2023年3月23日、第63次南極地域観測隊の越冬隊(以下63次越冬隊)の皆さんが、南極での1年以上の活動を無事に終え、日本に帰国されました🚁

 実は、当社は南極と深いかかわりがあります。当社社員が南極地域観測の中核機関である国立極地研究所に出向し、南極の昭和基地内に設置されている多目的衛星受信システムの運用・メンテナンスを行っているのです。今から36年前(1987年)の第29次隊から毎年越冬隊に参加し続けて、その役割を担っています。

 今回は、当社から国立極地研究所に出向して越冬隊に参加した社員へインタビューを行い、思い出深いことや印象に残っていることを聞いてきました。なお、出発前にもインタビューを実施していますので、こちらも併せてお読みいただけると嬉しいです😊(トップ画像 画像提供:国立極地研究所)


南極地域観測隊 光野隊員へのインタビュー!

今回お話を伺ったのは、第63次南極地域観測隊 越冬隊員の光野和剛さんです。

第63次南極地域観測隊 越冬隊員 光野和剛さん(本社撮影)
南極は直射日光に加え、氷からの跳ね返りも強いため、かなり日焼けするそうです…

Q1

南極での活動、お疲れ様でした!一年以上の活動を無事に終え、日本に帰国された今の率直な感想を教えてください。

光野)63次越冬隊の32名全員が無事に帰国することがでホッとしています。加えて、代々当社社員が受け継いできた業務を自分も最後まで全うすることができ、非常に誇らしい気持ちです。


Q2

南極ではどんなことをされていたのでしょうか?

光野)VLBI(超長基線電波干渉法、注1)の観測に使用する、多目的衛星受信システムとアンテナの運用・メンテナンスがメインの業務でした。アンテナは口径が11mもあり非常に巨大です。さらに、測地や地震などの地圏モニタリング業務や昭和基地でローカル5G通信を利用できるようにするための機器の設置、実証実験なども担当しました👷‍♂️

レドーム内の巨大アンテナ(画像提供:国立極地研究所)


変わった業務でいうと、昭和基地の看板制作です🔨 お馴染みの看板の裏側にも、同じように看板を掛けました。越冬隊は様々な業界のプロで構成されており、それぞれが持つ専門性を活かして作業にあたりますが、人数が32名と限られているため、専門外のことでも協力しあう必要があります。この作業は、建築隊員(大工)主導のもと、医療隊員(医師)と観測隊員(研究者)と私(エンジニア)という異色の組み合わせで行いました。日本で制作したものを南極に持ち込んだのではなく、事前に持ち込んだ木の板を現地で加工し、文字を手彫りして色を塗って…、慣れない作業で作り上げるのは大変でしたが、非常に楽しかった思い出です✨

完成した看板の前でパシャリ!(画像提供:国立極地研究所)

Q3

南極にはどれくらいの期間滞在されていたのでしょうか?

光野)2021年の12月16日に南極(昭和基地)に到着し、2023年の2月1日に出発しましたので、1年強滞在していました。

(参考)
日本~南極間の移動には、航空機や船(南極観測船「しらせ」)などが使われますが「しらせ」の場合、日本から南極までは約40日もかかるため、1か月以上も海上生活を送ることになります🚢 日本を発った後の最初の試練は、船酔いだそうです😱


Q4

そのような長い長い生活の中で、一番印象に残っていることは何ですか?

光野)滞在期間のほとんどを昭和基地で過ごしましたが、生活自体は意外と日本と大差ないなと感じたことです。基地内は空調が整備されていますので、半袖で生活する人もいましたし、お風呂も24時間365日入浴可能でした(清掃時を除く)。トイレも備わっています。
ちなみに、「しらせ」でも入浴できますが、海水が使われているので体が浮きます(笑)

余暇時間にビリヤード!(画像提供:国立極地研究所)
他にもダーツや楽器演奏も可能なんです!

ただ、当然ですが屋外になると話は別です。想像以上に寒く、過酷な環境下でしたので、指先が思うように動かせず苦労しました。滞在期間中の基地周辺における最低気温は-34℃ほどで、年によっては-40℃以下に冷え込むときもあるそうです⛄

(参考)
家庭用冷凍庫の温度は-18℃以下と規格で定められているため、光野さんがいた南極の環境は、その冷凍庫の中よりも寒かったということになります🥶


Q5

大変だったことや苦労したことはどんなことですか?

光野)多目的衛星受信システムの運用・メンテナンスの担当者は自分だけですので、トラブルが起きたときは自分一人で解決しなければならず、責任重大だったことです。ビデオ通話などで日本と通信することもできましたが、回線の品質や時差の影響で思うようにいかず、大変でした。

また、32名で共同生活を送りましたが、前述の通り越冬隊は研究者、エンジニア、メディア、料理人など様々な業界の方が集まって構成されています。年齢もばらばらで、それぞれが持つバックグラウンドや文化も異なりますので、連携をうまくとりながら運営していけるようになるまでには時間がかかり、苦労した点でもあります。みんなが快適に過ごせるように相手への配慮を欠かさず、思いやりと助け合いの精神で過ごすのが重要ですね🤝

昭和基地恒例の流しそうめん!(画像提供:国立極地研究所)
氷を削ってルートを作ります。お湯で流して凍らないようにするのがポイント!


Q6

出発前に一番楽しみなこととおっしゃっていた「南極教室」はいかがでしたか?
南極教室:昭和基地と学校がビデオ通話システムでつながれ、隊員が先生となって南極についての特別授業を行う企画(注2)

光野)予定通り私が講師として、息子が通う小学校で授業を行うことができました。息子は最前列で話を聞いてくれましたし、興味をもって見てもらえたと思っています。自分の働いている姿を子供に見せられる機会はそう無いですし、本当にやれてよかったと思っています。ただ、息子には「寒いのは嫌だ…」と言われてしまいました(笑)

今回の経験をもとに、当社が行っている出前授業「南極くらぶ」(注3)でも、南極で撮影してきた写真や動画を交え、いろいろなお話が出来ればと思っています。

光野講師による南極教室(画像提供:国立極地研究所)


Q7

もしチャンスがあれば、また南極に行きたいですか?


光野)チャンスがあればぜひ行きたいと思っています。ただ、1年以上家族と離れ離れになるのはとてもつらいですね。小学生の息子と幼稚園児の娘がいますが、1年半ぶりに再会したときはかなり大きくなっていて驚きました。2週間に1度くらいの頻度で家族とは電話できましたが、ビデオ通話は難しく、音声のみでしたし、成長を間近で見られないというのは寂しいですので。行きたい気持ち半分、家族といたい気持ち半分というところでしょうか。


Q8

最後に、この越冬経験を振り返ったうえで、メッセージをお願いします

光野)南極に行って良かった、と強く感じています。南極に行きたい!と思い、それを実現させるために動いたことによって掴めた経験なので、今後もチャンスがあれば、積極的に動きたいと考えています。チャンスがあれば、それを逃さないように積極的に動く、ということを多くの人に伝えていきたいと思います!


 光野さん、ありがとうございました!!!

 おわりに

今年は、当社から井上誠さんが国立極地研究所に出向し、第64次南極地域観測隊の越冬隊員として、今も南極で作業にあたっています👨‍💻
 下記サイトでは、井上さんへのインタビュー記事を掲載しているほか、光野さんをはじめ、過去越冬隊に参加した隊員による「南極からのレポート」も多数掲載しています。美しい風景写真や現地の生活模様など、豊富なコンテンツがそろっていますので、こちらも併せてぜひご覧ください!

(画像提供:国立極地研究所)


(注1)VLBI(Very Long Baseline Interferometry)
数十億光年の彼方にある電波天体からの電波を、地球上の複数地点で受信し、到達時刻の差から、宇宙を基準に相互の位置関係を割り出す技術。

(注2)南極教室 詳しくはこちら

(注3)南極くらぶ 詳しくはこちら


ここまでお読みいただきましてありがとうございます!

本記事は、光野和剛さんと国立極地研究所様にご協力いただきました!
ありがとうございました🙇‍♂️
(この記事は、コーポレートコミュニケーション部が作成しました。)

最後までお読みいただきありがとうございます!